高橋成美の父の職業は年収3000万円以上の大企業勤務?高学歴も父の影響がある?  

ミラノ・コルティナオリンピックのフィギュアスケートの解説が大絶賛だった高橋成美さん。

元フィギュアスケートの日本代表としても活躍しており、現在はオリンピック委員会の理事やバラエティ番組などにも出演しています。

フィギュアスケートはとてもお金のかかる習い事ですが、姉妹でフィギュアスケートを習わすことができる高橋家の財力がすごいのか!?お父さんの気になる仕事を調べていきます!

目次

高橋成美の父の職業は大手企業勤務の商社マンか?

高橋成美さんのお父さんは一般人のため、職業の公表はありませんが、大手企業勤務では?と考えられるエピソードがあります!

お父さんの転勤先がアメリカや中国

企業名は不明ですが、海外に支社がある大きい会社だということは間違いないですね!

姉妹がフィギュアスケートを続けていける収入

フィギュアスケートの教室は、他の習い事と比較しても費用が高いと考えられます。

こちらは、高橋さんの出身地、千葉県にあるスケート上のフィギュアスケート教室の料金です。

内容にもよりますが、月会費のみで5万円かかります。

また、アイススケートで使用する靴も1万円から10万円かかります。

衣装代などの費用もかかるので、年間でも80万円から100万円必要です。

高橋成美の父の職業の年収3000万円!?

高橋成美選手のお父さんの職業や会社の詳細は不明ですが、アメリカや中国に支社がある企業について調べてみました。

千葉県に会社があり、アメリカと中国に支社がある会社は例えば以下のような会社です。

トヨタ自動車、パナソニック、三菱商事、伊藤忠商事、味の素、資生堂など・・

海外赴任手当が良いとされる三菱商事を例に挙げると、

海外勤務手当は、国内勤務の1.5倍から2倍程度の年収になるそうです。

三菱商事の30代から40代の年収が1500万円から2000万円とされており、その場合だと、海外赴任中は年収3000万円と考えられます。

高橋成美の高学歴は父の影響?

高橋成美さんの学歴がすごいのはご存知でしょうか?

高橋成美さんは7ヶ国語話せるそうです!

日本語、英語、中国語、フランス語、ロシア語、韓国語、スペイン語、イタリア語

高橋成美さんはなぜ7カ国語も話せるのでしょうか?

小学4年生の時に、お父さんの仕事の転勤で中国の北京へ行き、北京の日本人学校へ入学。

北京でもフィギュアスケートを続けており、中国人の先生やスケーターと一緒に練習する中で、少しでも多くの情報を収集し、上手に滑れるようになるために、中国語も習得したそうです。

その後、フィギュアスケートの国際試合で英語のチームが多く、何を話しているのか興味を持ったことから

日本人学校からインターナショナルスクールに転校されています。

高橋さんのスケートが上手くなりたい!という気持ちが、高橋さんの7カ国後話せるという経歴につながっているようです。

高橋さんは、小学生の時にすでに全日本で3位になるほどの実力の持ち主でした。その一方で、両親から、「成績の悪い子はスケートには通わせられない」といわれており、学業にも力を注いでいたそうです。

小学生低学年の頃から、勉強の習慣がついていたのかもしれません。

両親からの「勉強は出来なくてもいいけれど、成績の悪い子はスケートには通わせられない」というプレッシャーを背に受けながら、高橋氏は学業にも力を注いだ

 9歳の時には、星新一氏の作品との出会いによって読書の習慣が身に付き、小説の世界にも魅了されていったという。

引用:デイリー新潮

高橋さんは、小学校の頃に数学が得意で、学校代表として数学オリンピックにも出場する実力だったそうです。

高橋さんが通われていた渋谷教育学園幕張高校。偏差値が70から74です。

ここに合格できたのも、フィギュアスケートが糧になっています

高橋さんが中学2年の時に帰国したのは、これ以上中国でスケートを練習するなら、中国国籍に帰化する必要があると迫られたためです。

当時ペアで中国選手権で6位になる実力だったため、将来日本代表になる選手の力にはこれ以上はなれないということだったのでしょう。

日本に戻り、ペア競技を続ける道を探していましたが、当時の日本はフィギュアスケートのペアは認知度も低く、危険な種目と思われていたようで、思ったように練習ができなかったそうです。(氷上で女の子と投げたり、持ち上げ滑ったり、すごい力と技術がないと確かに危ないですよね)

中国で順調に成績を伸ばした高橋氏だが、受験などの進路についても考えるようになる中学2年生の冬に、大きな転機が訪れる。

もしこれからも中国でスケートを続けるつもりなら、国籍を変えてもらわないといけない」と中国のスケート連盟の方に言われてしまって。色々と悩みましたが、「さすがに国籍は変えられないな……」という結論を下し、日本に帰ってくることにしたんです

 今でこそ「りくりゅうペア」(三浦璃来選手・木原龍一選手ペア)が注目を集めているが、当時の日本では選手もまだまだ少なく、競技自体の認知度も低かったという。

「『氷の上で女の子を投げるの? 無理だよ……』と言われてしまったり、“危険な種目”と思われているせいで練習場所が限られることもあって、とにかく苦労が絶えませんでした」

 帰国後はコーチの紹介により、宮城県で活動する山田孔明選手とペア結成に至るも、生活圏の異なる2人の練習時間は限られた。

引用:デイリー新潮

そんな時に、お父さんが「渋谷幕張高校は、入学がとても難しいらしい」と言われたのに、「もし渋谷幕張高校に合格したら、ペアスケートの強豪国に行ってもいいか?」という交換条件を提示した高橋選手。

そして見事に合格されました!

高橋さんの高学歴や7カ国語を話せるという今の経歴は全てフィギュアスケートのさらなる向上のための一部だったようですね!それにしても、高橋さんのフィギュアスケートへの熱量がすごすぎますね!

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